歴まねブログ

歴史から学び、偉人のまねをする。…そうです!まねぶのです!

幕府目線からの明治維新<明治維新編⑤>

 

徳川による公武合体

 

更に、桜田門外の変の後、井伊直弼により老中に抜擢された安藤信正は失墜した権威を朝廷の力を借り再び権威を取り戻すため、孝明天皇の異母妹の和宮親子内親王を14代将軍徳川家茂正室として迎える公武合体策を計画するも、朝廷の権威を貶めるものと考えた水戸浪士を中心としたグループにまたしても襲撃される。信正自身は難を逃れたがその後事件の責任をとらされる形で老中を罷免された。

 

荒れまくる京都

 

外国人や反対勢力への尊皇攘夷派による粛清事件が多発し、京都の治安は悪化。幕府は京都の治安を強化する目的で京都守護職を設置する。京都守護職には会津藩松平容保が任命される。この京都守護職の配下に剣術に秀でた旗本、御家人で組織された京都見廻組や剣客集団の壬生浪士組(のちの新選組)を組織し、治安維持にあたった。

 

八月十八日の政変

 

その後、過激になりすぎた尊王攘夷はの行動に危機感を強めた孝明天皇公武合体派の島津久光や中川宮に相談し、薩摩藩京都守護職をつとめる会津藩が協力し、8月18日尊王攘夷派公卿と長州系志士らを朝廷から追放することに成功し、このことにより幕府は再び権力を取り戻す兆しが見え始める。